2026-02-15

The Long Way Home

2月2週目、お袋の納骨で1週間自宅に戻りました。

式は極々簡素なものだったにも関わらず福島から叔母、叔父、いとこたちが来てくれました。
その夜福島勢が宿泊する東京駅付近で食事をした際に、お袋の姉である叔母から「これでひと段落ついたね」と声をかけられました。
近くにいて早めの処置ができていればもう少し長生きさせてやれたとの思いがありお袋には当然のことながら叔母たちに対しても申し訳ないとの気持ちが拭えないので、この言葉に少し救われました。

振り返るには少々早いですが広島に異動し孫ができお袋を失い、となかなか慌ただしいと思われる今年度でしたね。
苦を苦と思わず、楽に期待をすればどうということはないです。たぶんね。

慌ただしい中でも娘と自宅近くの「映える」海鮮丼を食べにいきました。

お値段そこそこで質より見栄え、という感じですが娘と孫との外食は楽しい限りです。

QOLと社会貢献、これが次年度以降のテーマかな。

2026-02-01

So Fine

痛風疑惑の検査結果を聞きに行きました。

結果は尿酸値は6.4と標準値内、体内の炎症状況を示すCRP定量も基準値以下とのことで、とりあえず疑惑は晴れた感じです。

ただビールをアホほど飲むので注意は必要です。
水分をしっかり摂ってプリン体の高い食事は極力避けながらビールをほどほどにしていきたいと思います。

2026-01-24

I Want A New Drug

2日前の夜中、どうにも足が痛く目が覚めました。
沖縄にトレーニングシューズを持っていかず、エニタイムでスクワットをした際足の指を少々捻った影響かな、と思いましいたが、この時間差はおかしい、と思い「ツーフー」の文字が浮かびました。


翌日もやはり夜中に少々痛みを感じたので土曜日病院に行きました。
ビールをしこたま飲むので気にはしていたのですがとうとう来たか!という感じです。

病院では血と尿を検査するとのことでこの日結論は出ませんでしたが、想定通りの食事指導をされます。
食事は何とかなりそうですが、🍺はお話になりません。

とりあえず痛み防止と痛み止めの薬を処方されました。

自宅に戻り、今後の生活を🍺を飲みながら考えています。

Alone

沖縄に行ってきました。

娘家族の計画に便乗したのですが、出発2日前に娘一家がノロに感染し断念、一人で行くのも何なんで自宅に戻って面倒見てやろうかと思いきや「うつるよ」と言われ、熟考の末一人旅となりました。
こんなに気が乗らない旅行は初めてです。
那覇空港到着が14時半過ぎ、そこからレンタカーを借りて、娘おすすめの沖縄そば屋さんで遅めの昼食を取ります。
15時過ぎにも関わらず結構混んでました。

ウェイティングコーナーにあった気温計。気温ヒトケタから25度です。

調子狂いますね。
人気メニューが軒並み売り切れになっており基本の沖縄そばを。

味はいわゆる沖縄そばで特段の感想はありませんが、民家風の作りで雰囲気が非常に良かったです。
娘たちと一緒に来たかったねー。

その後ホテルに向かい、到着したのは18時過ぎ。
ひとっ風呂浴びてブッフェで山ほどオリオン🍺を飲みました。

翌日、当初は美ら海水族館に行く予定だったのですが、遺跡めぐりに変更しました。
沖縄戦の際に住民の方々が逃げ込んだ洞窟というか窪地です。
集団自決となったチビチリガマと降伏して助かったシムクガマと対照的に語られます。
チビチリガマの中は鬱蒼としており、起きた惨事を思うと鎮痛な気持ちになります。
また、入り口にあった「ハブに注意」の文字にビビり長くはいられませんでした。
その後すぐ近くのシムクガマにも行きましたが入り口がどうにも分からず入れませんでした。
世界情勢は非常にきな臭い状況になっており戦争を正当化する思想は恐怖でしかありません。
子や孫たちが安心して過ごせる世界を残していくことが第一命題だということを改めて痛感しました。

その後座間味城跡に行きました。

石壁しか残っていませんが町が一望でき、まさに王がいた場所、と思える景色です。

その後やむちんの里から食べると決めていたやぎ汁の店に。

臭みを消している、とのなので非常に食べやすく美味かったです。
とは言え少々くどいのでしょっちゅうは食べられないかもしれません。

午後はホテルに戻って残波ビーチの写真を娘に送ります。

綺麗な海です。
娘たちと一緒に来たかったねー。

短くも寂しい旅行でしたが心の洗濯は出来たようです。
写真は空港で食べたイカスミソーメン。